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2013/03/28 (Thu) アルマジロ(映画館で鑑賞)

アルマジロ

原題   Armadillo
公開   2010年(デンマーク)
上映時間 101分

監督   ヤヌス・メッツ
製作   ロニー・フリチョフ/サラ・ストックマン
撮影   ラース・スクリー

出演   メス
     ダニエル
     ラスムス(小隊長)
     ラスムス
     キム


あらすじ
 アフガニスタンの最前線アルマジロ基地に派遣されたデンマーク兵たちの7カ月に密着し、恐ろしい戦争の現実を映し出していくドキュメンタリー。2009年、アフガニスタン南部ヘルマンド州のアルマジロ基地に、デンマーク人の青年メス、ダニエル、ラスムス、キムらが派兵される。アフガニスタン駐留の国際治安支援部隊支援国として、デンマークはイギリスとともに最も危険なエリアを担当。タリバンの拠点までわずか1キロあまりという、死と隣り合わせの戦場での毎日。兵士たちは数回の戦闘で極度の興奮状態を経験したことで、戦争中毒に陥っていく。





評価:4点(5点中)


レビュー
 意外に知られていないのだが(というか私もこの映画を見るまで知らなかったが)、デンマークはアフガンの治安維持に積極的に参加する国の一つだという。徹底的なメディア規制を行っているアメリカなどでは撮影が許されるはずもない。デンマークという国だからこそ成立した戦争ドキュメンタリーだ。

 このドキュメンタリー映画の最も優れている点は、様々な戦争映画が個々に描いてきた要素をほぼすべて持ち合わせていることだ。「愛する人との別れ」「“刺激的でない”前線での毎日」「戦闘時の恐怖」「戦闘から得られる“実感”」。劇映画と違って、すべてが実際にあったことだ。だから一つ一つの、たとえ日常的などうでもいいことでも妙に生々しさがあり、言葉では語り尽くせない緊迫感がある。

 印象的なのは「前線での退屈な日常」と「戦闘の興奮」だ。前者はサム・メンデスの「ジャーヘッド」で取り上げられていたテーマだが、断然こちらの方がリアルだ。兵士たちの会話から、彼らがいかに戦闘を待ちわびているのか。そしてそれが「実感のなさ」から生まれたものだということが、克明に描かれている。
 後者は「ハート・ロッカー」など最近の戦争映画で好まれるテーマだ。兵士たちが互いにアルマジロ基地に来た理由を語る場面があるのだが、彼らに共通するのは「実感を得るため」。いや「ハート・ロッカー」のジェームズ軍曹ほどではないが、彼らもまた戦闘時の興奮を期待している。
 逆説的だが、彼らがそう考えるのは戦争がリアリティを失っているからだ。この映画では兵士のヘルメットにつけられたカメラで、意図的にミリタリーゲームのような映像を作り出しているが、まさにそれだ。劇中、デンマーク軍が敵をはっきりと目視する場面は皆無であり、戦闘のほとんどは遠距離からの射撃だ。ドキュメンタリーなのに「リアルでない」戦闘の事実を映し出しているのだ。
 しかし戦いの後の興奮は本物だ。タリバン兵を撃ち殺し、相手を打倒したという勝利の実感。幾人かの兵士は負傷したことで、死の存在を認識し呆然としている場面もあったが、数日もしたら彼らも元通りだ。そんな兵士たちを見ると、恐怖に勝るその感情はどこから出てくるのか問いたくなる。「アルマジロ」で描かれるのは外面的な事実のみであり、兵士の内面の変化には迫ってこない。

 この映画自体、矛盾を孕んでいる。劇映画的な演出をしているのにも関わらず、個々の兵士はあくまで一例としてしか取り上げられないから、監督の主張が見えてこない。感覚が麻痺し切った戦争を「これが事実だ」として見せられたとしても、多くの観客は発展した考えを持てないだろう。当然、ほとんどの人は戦地を経験していないのだから。

 とはいえ、この映画は戦争ドキュメンタリーとしては歴史に残るものだ。誰の側に立つこともなく淡々とカメラで追い続けることで、善悪の境界を曖昧にしている。その最たる例は、瀕死のタリバン兵に追い討ちをかけたかどうかを描いたことだ。もちろん国際法で禁止されているが、彼らの言う通り戦闘時にそんなことは考えてられない。「生きるか死ぬか」の世界では一瞬の油断が命取りだ。かといって、死体を粗雑に扱う彼らの姿は褒められたものではない。事実、このシーンが戦争の異常さを最も良く表していた。戦争は人を麻痺させる。それだけをリアルに映し出したドキュメンタリーだ。

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2013/03/25 (Mon) マーサ、あるいはマーシー・メイ(映画館で鑑賞)

マーサ、あるいはマーシー・メイ

原題   Martha Marcy May Marlene
公開   2011年(アメリカ)
上映時間 102分

監督   ショーン・ダーキン
製作   ジョシュ・モンド/アントニオ・カンポス/クリス・メイバック/パトリック・カニンガム
脚本   ショーン・ダーキン

出演   エリザベス・オルセン ···マーサ
     ジョン・ホークス   ···パトリック
     サラ・ポールソン   ···ルーシー


あらすじ
 少女マーサは、ある時からパトリックをリーダーとする山の上にあるカルト集団に入信し、マーシー・メイという新しい名前で生きることになる。それから2年後、マーサは1人で集団を脱出し、姉夫婦ルーシーとテッドの別荘に身を寄せるが、マーシー・メイとして生きた2年間の記憶に苦しめられる。





評価:4点(5点中)


レビュー
 「マーサ、あるいはマーシー・メイ」はすべてが非常に曖昧な映画だ。ストーリー、キャラクター、映像。美しくも不気味な世界観が何とも言えない余韻を残す。

 まず初めに挙げるべきは主演のエリザベス・オルセンだろう。「フル・ハウス」のオルセン姉妹の妹だが、今回が初の劇場映画らしい。しかしそうだとは思えないほど見事な演技を披露する。映画の序盤から見せる、ひたすら不安そうな表情は見ているこちらの焦燥感も煽る。何か質問されたりしても低い声でブツブツとつぶやき、自らの過去を明かそうとしない。時折、大丈夫そうな様子を見せるものだから余計に不安定な印象を与える。
 彼女はこの本来の「マーサ」とカルト集団に洗脳され切った「マーシー・メイ」との切り替えが非常に上手だ。露骨な二重人格的描写に陥ること無く、いつの間にか「常軌を逸した」状態に変わってしまう。劇中では自らの体験を一切語らないのにも関わらず、彼女は体に刻み込まれた恐怖を全身で表現できる。まさに“引き込まれる”演技だ。

 そんな彼女の(良い意味で)微妙な演技と調子を合わせるかのように、映像も曖昧な時間感覚を作り出す。特筆すべきは見事な編集だろう。姉夫婦の家に居候するマーサの現在と彼女の回想がシームレスにつながれているから、どこからどこまでが時間的な区切りなのか見分けがつかなくなる。この「曖昧な」編集が観客に不安感を植え付ける。一度マーサは姉のルーシーに「夢と現実の区別がつかなくなることがあるか」と聞くのだが、私たちが陥るのはまさにその状態だ。編集により、主人公のマーサとの感情の共有に成功しているのである。
 もう一つはマーサだけにピントを合わせることで空間的な「曖昧さ」を演出している点だろう。彼女以外の存在がすべてぼやけて映し出され、精神的に追いつめられていくマーサの精神状態を直接的に表している。特にカメラの端に誰とも分からない人影が一瞬映る時の不気味さは何とも言えない。実際、この効果はエンディングに近づくにつれて重要な役割を果たすようになる。

 このように、この映画の最も評価すべき点は「マーサの不安定な心」のみを描き続けることで、一つの映画として成立した点だ。空中に漂っているような感覚を持続させて、観客の焦燥感をひたすら駆り立てる。だからこそ、その「宙ぶらりん」であることが欠点にもなっている。

 最も大きな点は彼女の恐怖の根源であるカルト集団、特にリーダーのパトリックの描写だろう。彼を演じるジョン・ホークスは今回も素晴らしい演技を見せてくれるが、パトリックというキャラクター自体に深みは無い。なぜ彼がそこまで恐れられ崇められる存在なのか。そもそもこの生活を始めた理由は何なのか。こういった部分が一切明かされないため、彼の精神的な影響力が見えてこないのだ。とはいえ、ジョン・ホークスはその骨張った容姿と無駄に力強いその眼差しで、見るものを凍り付かせ、話さなくても異様さを体から放つ。不気味なカリスマ性を持った人間を、「なぜ」という疑問抜きで演じ切ったのだ。(彼が披露する「マーシーの歌」も忘れがたい)

 「曖昧」であることにこだわりすぎて、少々説得力に欠ける部分はある。だがディテールの描写に手を抜いていないから、見えていない部分にも生活感が感じられて、リアリティを失っていない。だからこそ幻想的なストーリーが身近なものとして、観客にも恐ろしいものに思えるのだろう。一つ一つのパーツが完璧に組み合わさった秀作である。

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2013/03/12 (Tue) 東ベルリンから来た女(映画館で鑑賞)

東ベルリンから来た女

原題   Barbara
公開   2012年(ドイツ)
上映時間 105分

監督   クリスティアン・ペツォルト
製作   フロリアン・ケルナー・フォン・グストルフ
脚本   クリスティアン・ペツォルト/ハルーン・ファロッキ

出演   ニーナ・ホス       ···バルバラ
     ロナルト・ツェアフェルト ···アンドレ
     マルク・ヴァシュケ    ···ヨルク


あらすじ
 東ドイツの田舎町の病院へ赴任してきた美しい小児外科医バルバラは、西側で暮らす恋人ヨルクのもとへ脱走する計画を進めていた。しかし、同じ病院に勤務する誠実なアンドレと出会い、彼の誠実さに惹かれていく。バルバラは医師としての自分を求められている東の生活と、自由で豊かな西への生活、そして2人の男性の狭間で揺れ動く。





評価:4点(5点中)


レビュー
 ベルリンの壁が崩壊したのは1989年のこと。つまりもう20年以上も経っているのだ。完全に歴史上の一事件と化しつつあるが、この映画はそれよりもさらに前の1980年の話である。

 「グッバイ、レーニン!」など、東西対立が個人に与えてきた影響を描いた映画はあったが、「東ベルリンから来た女」はそれをさらにミニマムな領域の話に落とし込んでいる。描かれるのは「東西対立により引き裂かれた男女の悲恋」ではなく、「2人の男の間を揺れ動く1人の女」の物語だ。

 東ドイツの片田舎を舞台にしているため、冷戦などの影響を直接的な形として目にすることは少ない。時折登場する「外国製医療機器の話」や「外国人用ホテル」からその片鱗を窺い知ることはできるが。
 それでも人々の生活には多大な影響を及ぼしている。主役のバルバラはもちろんのこと、アンドレも心の底では西ドイツ行きを望んでいるし、バルバラの恋人ヨルクは東ドイツ脱出の手配をする(この映画唯一のサスペンス要素だ)。最も顕著なのはバルバラに助けを求める、作業所から逃走したステラという少女の存在だろう。矯正という名の下に少女に過酷な労働を強いるその環境は、いかにも旧社会主義国的なものだ。このステラ役のバウアーがなかなか上手で、あどけなさを残しながらも、大人になりかけている少女を迫真の演技で見せてくれる。実際、アンドレよりも彼女の存在の方が、終盤のバルバラが出た行動の直接的な原因となっている。

 だがそれらの歴史的要素よりも、この映画はバルバラの引き裂かれる感情に重きを置いている。東ドイツに未練を残さないために、誰とも深くかかわり合おうとしない彼女の硬い表情は、切実な胸の内を表している。だからこそアンドレと自然に打ち解けていく様子が微笑ましくもあり、悲しくもあるのだ。
 ニーナ・ホスは、下手すると観客にも嫌われることに成り得る「嫌われ者」を繊細に演じた。彼女の心情の変化していく様をが手に取るように分かるから彼女の気持ちが痛いほど分かる。彼女が揺れ動く、2人の男がどちらも魅力的だからなおさらだ。

 ツェアフェルト演じるアンドレは単純そうに見えてとても複雑な人物だ。おおらかそうに見えて卑屈でもあり、開けっぴろげでありながら繊細でもある。微妙な心の動きを完璧に捉えているから、一つ一つの会話のシーンが偽のものとは思えない。そこにはバルバラへの一途な思いがあるからこそ、全体としての彼の方向性は一切ぶれることがなく、観客も彼の肩を持ちたくなる。
 対するバルバラの西ドイツの恋人ヨルクは洗練されていて、いかにも資本主義国家の人間だ。それでいて鼻につかないのが不思議である。おそらくバルバラとの愛し合う様子が、2人とも心から嬉しそうで偽りのものには到底見えないからだろう。

 この複雑な人間関係が、彼女のバックグラウンドとともに重なり合って描かれる。残念なのは、ほとんどの人物はバルバラとしか係わり合うシーンがない。アンドレとヨルクは一度たりとも絡まないし(これが逆にバルバラの秘密となり、ドラマを面白くしているとも言えるが)、その他の脇役には生活感がまるで無い。それなのに「当局に監視される」バルバラを描くものだから、中途半端感が否めない。彼女が他人を避け、他人が彼女を嫌っている様子があまり見えてこないのだ。

 それでもバルバラを取り巻く、悲しい恋の話には胸を打たれるだろう。幸せな場面と悲痛を感じさせる場面が程よく織り交ぜられていて、登場人物に共感できること間違いなしだ。歴史的事実を描いた作品には珍しい「個人的な」作品である。

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2013/01/17 (Thu) E.T. 20周年アニバーサリー特別版(家で鑑賞)

20周年アニバーサリー特別版

監督 スティーヴン・スピルバーグ
出演 ヘンリー・トーマス
   ロバート・マクノートン
   ドリュー・バリモア

あらすじ
 森の中に静かに降り立つ異星の船から現れる宇宙人たち。だが人間たちに気付き、彼らは急いで宇宙船で脱出する。しかし一人の異星人が取り残されていた。
 森林にほど近い郊外に住む少年エリオットは裏庭でその異星人と遭遇、彼をかくまう事にする。兄と妹を巻き込んで、E.T.と名付けられたその異星人との交流が始まった。だがE.T.の存在を知っているのはエリオットたちだけではなかった…。





評価 4点(5点中)


レビュー
 世界で一番有名な宇宙人の物語を知らない人はいないだろう。気持ち悪さとかわいさのスレスレを行く、あの奇抜なルックス。奇妙なしゃべり声。有名すぎるから今は誰もなんとも思わないだろうが、この映画は限りなくユニークで独創性に満ちあふれている。

 これも言わずもがなだが、映画全体を包み込むあの雰囲気がたまらない。いかにも80年代的な会話もどこか懐かしさを感じさせるし(といっても私は生まれてもいないが)、一つ一つの小道具も見ていて飽きない。「SUPER 8/スーパー8」もこの独特の雰囲気を作り出そうとかなり頑張っていたが、やはり当時だからこそ上手くできたのだと改めて確信した。

 そしてスピルバーグは子供の描き方が本当に上手だ。もちろんこれは彼のおかげだけでなく、子役たち自身の力でもある。エリオット役のヘンリー・トーマスやドリュー・バリモアは子供らしい自然な純粋さで見せてくれる。さらにトーマスの方は少しずつ大人へと近づいていく、子供の緩やかな心の動きを巧みに表現した。だが私が今回注目したのはエリオットの兄、マイケルだ。下の2人と違い、“純粋な子供”とは言いがたい彼は初めはエリオットを馬鹿にしまくる。ここでただのいじめっ子に終わらせないのが、スピルバーグ流だ。ほとんど“大人”だった彼がE.T.との出会いを通して少しずつ子供の心を取り戻していく。印象的なのはE.T.が死にかけるシーン。1人子供部屋に座り込む彼の姿はそれらをすべて象徴している。一番年が近いからと言うのもあるが、この映画の中で最も共感できる存在であった。

 「子供の心を忘れない大人」を描いたのは「未知との遭遇」であった。スピルバーグ自身が当然大人であるから心情的な表現はこちらの方が繊細に描けていると思う。しかし、ありとあらゆる「子供の心」をここまで凝縮して見事に描いた映画はこの映画以外に見たことが無い。誰もが感動するSF映画の金字塔だ。

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2012/12/26 (Wed) レ・ミゼラブル(映画館で鑑賞)

レ・ミゼラブル

監督 トム・フーパー
出演 ヒュー・ジャックマン
   ラッセル・クロウ
   アン・ハサウェイ

あらすじ
 パンを盗んだ罪で19年間服役したジャン・バルジャンは、仮出獄後に再び盗みを働いてしまうが、罪を見逃してくれた司教に感銘を受けて改心する。やがて自分が経営する工場で働いていた女性ファンテーヌから愛娘コゼットを託されたバルジャンは、執念深いジャベール警部の追跡を逃れ、パリへ。バルジャンとコゼットは親子として暮らすが、やがて激動の時代の波に飲まれていく。


評価 4点(5点中)


レビュー
 誰もが知るあの名作を原作としたミュージカルの映画化(あくまでも原作の映画化そのものではないらしい)である。元々、ストーリー自体が好きなのと、あのトム・フーパーが監督すると聞けば期待せずにはいられないだろう。

 本編中、ほとんどの台詞は歌である。まるで普通に会話でもするかのように喋っているが、全部ミュージカル風に仕上がっていて、これが他の「レ・ミゼラブル」と一線を画す点。しかも演技をしているときに、声も録音したというのだから驚かされる。ただ映画的な効果を上げているかというと、そうでないときもある。歌いながらも台詞のように話すから、感情豊かに表現はできるが、全体的にもったいぶっているのだ。溜めに溜めてて、とつとつと歌うシーンなんかは時折じれったくなる。

 だがほとんどの場面ではこの手法は成功していると言える。それは何よりも俳優たちに寄るところが大きいと思う。ジャン・バルジャンに扮するヒュー・ジャックマンは粗暴さと礼節を兼ね備え、力強い生命力を感じさせる。傲慢で自信たっぷりだが、不安定さも持ち合わせるジャベール警部はラッセル・クロウにぴったりだ。アン・ハサウェイも繊細な演技を見せ、キャットウーマンの姿は微塵もない。アマンダ・セイフライド、エディ・レッドメインもそれぞれ小説から抜け出てきたかと思わせる。

 そしてなんといっても彼らの歌声は絶品だ。よくもまあ、こんなキャストを集められたものだ。だからこそ見せ場では観客を映画の中にグイグイ引き込む。ピークは"I Dreamed a Dream"と"Valjean's Death"だろう。前者の方は「夢やぶれて」としてよく知られており、CMでも使われていたが、確かにこのシーンは絶品だ。アン・ハサウェイが一人で静かに歌うのだが、こんなにも涙を誘うとは思わなかった。有名だからこそあえて直球勝負で来たのだろうか。映画の登場人物の感情がここまでダイレクトに伝わったことは未だかつて無い。そして後者は言うまでもなくジャン・バルジャンが死ぬラストシーン。「神の救済」という陳腐になりがちなシーンを、あえてミュージカルと同じように描き、映画的な技法に頼らなかった点が功を奏している。心を揺さぶられる、というのは正にこういうことを言うのだ。

 エンディングまで見たら、スタンディングオベーションをした観客の気持ちがはっきりと分かった。歌が持つパワーを改めて思い知らされた。ここ数年でも最高のミュージカル映画である。

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