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2014/12/31 (Wed) インターステラー

インターステラー


原題   Interstellar
公開   2014年
上映時間 169分
製作国  アメリカ/イギリス

監督   クリストファー・ノーラン
脚本   ジョナサン・ノーラン/クリストファー・ノーラン

出演   マシュー・マコノヒー
     アン・ハサウェイ
     ジェシカ・チャンスティン


あらすじ
 近未来、地球規模の環境変化が進み、食糧難に陥っていた人類はその多くが農業によって生計を立てていた。そんな中、元エンジニアであるクーパーはある日、娘マーフィーの部屋で謎の暗号を解読する。それが指し示していたのは秘密裏に再建されたNASAの基地であった。そこでクーパーは宇宙で新たに発見された未開地へ旅立つミッションにクルーの一人として選ばれる。全人類の救済と愛する家族との再会の間で揺れ動くクーパー。悩み抜いた果てに、彼は家族に帰還を約束し、前人未到の新天地を目指すことを決意して宇宙船へと乗り込む。





鑑賞日  12月30日
場所   映画館
評価   5点


レビュー
 ダークナイト三部作も終わり、クリストファー・ノーランにとってインセプション以来のオリジナル作品である。批評家からの評判も絶賛、というわけではなくそれなりに良い程度だったので、正直な気持ちとして期待はしていなかった。だが私の予想とは真逆の結果だったのだ。

 まず書かなくてはいけないのは何よりもその映像美であろう。物理学者のキップ・ソーンから指導を受けて作り上げたワームホールやブラックホールの描写は真新しく写り、IMAXで見たこともあってか本当に宇宙空間にいるような気分にさせられる。ただし視覚効果担当がインセプションと同じダブル・ネガティブであったせいか、唯一そのインセプションとだけ似た印象を受けてしまった。それでもなお、静閑としていながらSF大作としての迫力と両立させている点は見事である。

 そして俳優陣。主演のマシュー・マコノヒーは、「家族への思い」と「宇宙への抗えない魅力」の間で苦悩する無骨な父親を演じた。監督が「MUD」での彼の演技を見てオファーをかけたのが納得できるように、宇宙が舞台でありながら開拓時代のカウボーイを思わせるようなマコノヒーのスタイルは従来のSFとは一線を画す。
 アン・ハサウェイもアカデミー賞を受賞した「レ・ミゼラブル」よりもずっといい。物語のセンチメンタルなトーンと相まって時折過剰にはなるものの、大いなる使命と愛した男への愛情に揺れる彼女の演技は真に迫っている。その他の定番の役者たちも、手堅いタイプを揃えているからか非常に安心して映画を見ることができる。
 そんなメンツの中で、ほとんど新人と言えるマーフィー(幼少期)役のマッケンジー・フォイは一際目を引いた。宇宙に旅立つ父親に対して、寂しさゆえに反抗心を露わにするマーフィーの演技は繊細さが要求される。少しでもすれば、ただのわがまま娘になってしまうところを、思春期に差し掛かった少女の父親(しかも自分に似た性格である)への複雑な思いを完璧に表現して見せた。冒頭部の安っぽい展開はほとんど彼女のおかげで救われていると言える。

 脚本に関しては賛否両論あるだろう。科学的考察が厳密になされたと言われるクライマックス直前までのストーリーに対し、当のクライマックスはある一種のファンタジー、おとぎ話に落とし込めてしまったとも言えるのだ。物語全体を付きまとっている「泣かせる雰囲気」が尾を引き、このポイントで耐えられなくなる人も間違いなくいる。
 だが私はこの点こそ、「インターステラー」で最も優れている部分だと思う。自然破壊を続ける人間への警鐘や、新たな世界を築く上での争いなどと言った、この手の大仰しいSFでありがちなメッセージ性を押し売りせず、宇宙へ旅立つことの夢や微視的とも言える人間愛などを押し出した作品など、これほどの規模の映画であっただろうか。父親の子供への愛情を的確に描き、それをSF大作のクライマックスに持ってくるなど誰にでも考え付くアイデアではない。だからこそ、エンディングは幸福に満ち溢れていながら同時に悲しくもあるのだ。

 センチメンタリズムに陥ることはありながらも、壮大さと繊細さを並立的に描き切った「インターステラー」は非常に勇気ある作品だ。まさしく、今年度最高のSF映画と言える。

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2013/07/01 (Mon) ハッシュパピー バスタブ島の少女(映画館で鑑賞)

ハッシュパピー バスタブ島の少女

原題   Beasts of the Southern Wild
上映時間 93分
製作国  アメリカ

監督   ベン・ザイトリン
製作   ダン・ジャンヴィー/ジョシュ・ペン/マイケル・ゴットワルド
脚本   ルーシー・アリバー/ベン・ザイトリン
原作   ルーシー・アリバー『Juicy and Delicious』

出演   クヮヴェンジャネ・ウォレス ···ハッシュパピー
     ドゥワイト・ヘンリー    ···ウィンク

あらすじ
 米ルイジアナ州の湿地帯に、世間から隔絶された「バスタブ」と呼ばれる小さなコミュニティーがあった。少女ハッシュパピーは毎日がお祭り騒ぎのようなバスタブで気ままに生きていたが、ある日、大嵐が襲来したことをきっかけにバスタブは崩壊。さらに、父親のウィンクが重い病気にかかっていることを知ったハッシュパピーは、出て行って久しい母親を探しに外の世界へ足を踏み出していく。





評価:5点5点中)


レビュー
 昨年度アカデミー賞の作品賞ノミネート作品で、最も楽しみにしていた映画をやっと見ることができた。その期待を裏切らない、独創的で、素晴らしく感動的な作品であったことは言うまでもない。

 物語の大筋はあらすじの通りである。だがここで重要になるのが、この映画はあくまでハッシュパピーの視点で進行していくという点だ。物語の多くの要素は詳しく語られず、台詞を口にするのもハッシュパピーと父親のウィンク、そして数人の大人だけだ。これが映画の魅力に大きく貢献している。

 まず注目すべきは「文明と隔絶した社会を営む人々」を描いていることだ。彼らの生活は一見すると眉をひそめるようなものだし、頑に「バスタブ」に居座り続けようとする意図もはっきりとは分からない。もちろん自分たちの“故郷”だからだとは思うが。しかし監督が見せたいのは彼らの生活に対する讃歌やゴリゴリの「自然主義」でもない。そういった「文明対自然」の点における監督の立場は一貫してニュートラルであり続けている。そうでなければ、バスタブ島の住民が強制退去させられる場面などをもっと憎々しげに表現するだろう。

 ではなぜ監督のザイトリンはこの「バスタブ島」を舞台にしたのか。それは彼が「人間」そのものを純粋に描きたかったからだ。ある意味での極限状態に置かれた人々の、彼らなりの哲学や生き方を見せる上で文明社会は逆に非現実的な要素となるからだ。子供であるハッシュパピーからしてみればなおさらだろう。彼女の世界は「バスタブ島」がすべてで、それ以上でもそれ以下でもない。その彼女の世界に「嵐」というリアルが舞い込むことにより、今まで目にすることの無かった「“非現実的”なリアル」と「“リアル”な空想世界」を目の当たりにする。

 この現実と空想の曖昧な境界線が、また一つのこの映画の魅力である。それが幻想的な映像と合わされば、見る人の好奇心をかき立てることは間違いない。「オーロック」という巨大なイノシシのような古代の怪物がこの「空想世界」のメタファーであるが、その存在はこの映画を決して陳腐なファンタジーとはしない。彼らがどういった存在なのか、現実に存在しているのか、劇中では一切語られることが無い。だが「ハッシュパピーの成長」という観点から見ると、彼らの存在は必要不可欠であり、事実ハッシュパピーがオーロックと対峙する場面にはこみ上げるものがある。

 だが何と言っても、この映画で最も心を動かされるのはハッシュパピーとウィンクの関係だろう。粗暴で「良い父親」とは言いがたいウィンクが、自分の病を必死に隠し、娘にありとあらゆる知恵を教えていく過程はそれだけでも十分感動的だ。だが彼の病が本格的に進行してから、私たちは初めて役者の底力を見ることになる。クヮヴェンジャネ・ウォレスとドゥワイト・ヘンリーはほとんどの場面で互いの本心をさらけ出すことは無いが、その眼差しが避けることのできない真実を語っている。一つ一つの表情がハッシュパピーとウィンクの複雑な感情を見事に表していて、この一種のファンタジーに独特の現実感があるのは彼らのおかげだ。

 そして最後のシーンではきっと誰もが涙を抑えられない。食事のシーンが(ほとんどがカニなどを生で食べるようなものだが)印象的なこの映画は最後も食べ物で締めくくる。人間の豊かさ、生命の尊さ、親子の愛、子供の成長。このシーンにすべての感動が詰まっている。ここに唯一無二の傑作が誕生した。

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2013/04/01 (Mon) シュガーマン 奇跡に愛された男(映画館で鑑賞)

シュガーマン 奇跡に愛された男

原題   Searching for Sugar Man
公開   2012年
上映時間 86分
製作国  スウェーデン・イギリス

監督   マリク・ベンジェルール
製作   マリク・ベンジェルール/サイモン・チン
撮影   マリク・ベンジェルール


あらすじ
 無名だった“はず”のシンガーソングライター、ロドリゲスの数奇な運命をひも解くドキュメンタリー。1970年、著名な音楽プロデューサーに見出され、アメリカでメジャーデビューしたメキシコ系シンガーソングライターのロドリゲス。2枚のアルバムをリリースし、一部で高い評価を得るもののアルバムはまったく売れず、そのまま音楽シーンから姿を消す。しかし70年代後半、ロドリゲスのアルバムはアパルトヘイト時代の南アフリカへ渡り、「シュガーマン」をはじめとする楽曲が、抵抗運動を続けていたリベラル派の若者たちから熱狂的に支持されていた。





評価:5点5点中)


レビュー
 ロドリゲスというミュージシャンを知っているだろうか。おそらくこの映画のことを見るまでは誰も知らないはずだ。だが「シュガーマン」を見た後なら、彼のことを忘れることはない。

 このドキュメンタリーが異質なのは、多くのインタビューが個人の感情から語られている点だ。誰もロドリゲスの行方を知らず、生死すらも分かっていない。それなのに全員が口をそろえてこう言うのだ。「ロドリゲスほど素晴らしいミュージシャンはいない」
 前半でロドリゲス自身が姿を見せることはないのに、彼へ興味を抱かずにはいられない。関係者の証言から彼の人物像を少しずつ特定していき、「どれほど素晴らしいのか」と期待させる手法は見事だ。それに観客もこの“捜索”に参加する形となり、真実に迫っていく過程はさながらミステリーものの様でもある(サセックスの元社長との会話シーンにはハラハラさせられる)。
 

 そしてこの姿を現さない彼の影響力の強さも思い知ることとなる。南アフリカを動かすきっかけになった人物だ。自分の映画を見ている人間に何もしないはずがない。この時点で観客はロドリゲスの魅力にすっかり魅了されているのだ(しつこいようだが、彼は登場していない)。
 そして物語の中盤、彼はついに登場!!…するのだが、変な格好をしたおじさんである。しかし彼が普通の人間とはまったく異なる人物であることは一目見て分かる。口では説明できないが、「オーラが違う」のだ。肉体労働に従事していながら、どこか知的で洗練された雰囲気がある。そして何より、今でも音楽の才能は衰えていない。
 南アフリカのファンたちは彼のことを語りだすと止まらなくなるが、その気持ちも分かる気がする。これほどの才能を有していながら、本国ではまったく脚光を浴びず、反対に異国では大ヒット。だがその存在は不明だった人物など歴史上にもそういないだろう。

 こうやって文面にしても「シュガーマン」の魅力は伝わり切らない。スリリングな構成、敬意のこもった語り口、そしてロドリゲスの存在感は実際目にしないと分からない。そんな映画に、一度聞いたら忘れられない曲が合わさったら?最高なのに決まっているだろう。

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2013/04/01 (Mon) ザ・マスター(映画館で鑑賞)

ザ・マスター

原題   The Master
公開   2012年(アメリカ)
上映時間 143分

監督   ポール・トーマス・アンダーソン
製作   ジョアン・セラー/ダニエル・ルピ/ポール・トーマス・アンダーソン/ミーガン・エリソン
脚本   ポール・トーマス・アンダーソン

出演   ホアキン・フェニックス     ···フレディ・クエル
     フィリップ・シーモア・ホフマン ···ランカスター・ドッド
     エイミー・アダムス       ···マリー・スー・ドッド


あらすじ
 第2次世界大戦が終結し、赴任先からアメリカへ戻ってきた帰還兵のフレディ・クエルは、戦地ではまったアルコール依存症から抜け出せず、社会生活に適応できずにいた。そんなある日、フレディは「ザ・コーズ」という宗教団体の指導者で、信者から「マスター」と呼ばれているランカスター・ドッドに出会う。ドッドは独自のメソッドで人々を悩みから解放し、フレディもドッドのカウンセリングで次第に心の平静を取り戻していく。ドッドは行き場のないフレディをかたわらに置き、2人の絆は深まっていくが……。





評価:5点5点中)


レビュー
 ポール・トーマス・アンダーソンの作品にはいつも驚かされる。その中でも「ザ・マスター」は最も静かでありながら、同時に最も力強い作品でもある。見終わった後は衝撃のあまり、我を忘れた。

 ストーリーにおいて動的な展開を迎えることはない。おかしな男が、やはりおかしな別の男と出会い、そして決別に至る話だ。大筋だけを捉えるとこれだけシンプルなのに、それを構成する一つ一つのシーンは忘れがたい。

 その第一の要因として考えられるのは、出演者たちの筆舌に尽くしがたいほど素晴らしい演技だ。多くの作品では、登場人物のうち誰か1人だけが突出している。大抵は主人公だが、時には脇役が主人公を食うこともある。それがこの映画には当てはまらない。誰もが隙のない演技を見せ、決して無意味な存在となっていないのだ。(実際、多くの映画祭では俳優が特に評価された)

 だがメインの2人、特にホアキン・フェニックスに敵うものはいない。あらゆる俳優たちを考慮したとしても、ここ数年で最高の演技を披露する。
 彼が演じるフレディは明らかに精神を病んでいる。全身に怒りをみなぎらせ、瞳の中には希望の色などない。些細なことで暴力を振るうフレディを人が気に入るはずもなく、孤立していくしかない。いわゆる“はみだし者”である。こういったキャラクターはあまりにも突飛すぎて、魅力的にはなり得るが共感を呼ぶ存在ではないことが多い。だがフレディは違う。元々兆候があったとはいえ、絶対に人と馴染むことのできない彼を作り出したそのバックグラウンドは丁寧に描かれ、奇怪な行動からも人間味が感じられる。何より演じたフェニックスがフレディを単調に演じることがない
。彼の行動はすべて、複雑な感情から沸き起こったものであり、その根底には口で説明されることのない哀しみが漂っている。

 そして「ザ・コーズ」を率いるランカスター・ドッドに扮するは、アンダーソン作品でおなじみのフィリップ・シーモア・ホフマンである。彼の演技はフェニックスのそれとは正反対だ。溢れ出る感情を抑えようとしない(または抑えられない)フレディと違い、ドッドは自分を嘘で塗り固め本性を出すことはない。というより、彼自身が自分のつく嘘を信じ込んでいるのだ。
 多くのカルト宗教の教祖にありがちな性質だが、ホフマンにこの役はぴったりだ。自尊心過大で、自分がしているのは善行だと信じて疑わない。見ている私たちですら、口八丁手八丁で人を丸め込もうとする彼の魅力に取り付かれそうだ。基本的には善人であるからこそ、それにすがる人々を否定する気にもなれない。

 正反対の性格である2人が出会って上手く行くはずがない。それなのに2人は惹かれ合い、互いを必要とする。
 なぜならフレディは自分に真の情を向けてくれる人間を、ドッドは「ザ・マスター」としてではなく自分と接する人間を求めていたからだ。
 多くの回想シーンで、フレディは昔結婚すると誓った女の子に対しある一種のトラウマを抱えている。彼女が自分を必要としなくなったことに気づいてはいるが、頭では理解しようとしない。唯一愛情を向けてくれた彼女を忘れられないのだ。だから代わりに“形骸化した愛情”としてのセックスを求める。その執着心は異常だが(このフレディのヴィジョンも見事に映像化されている)、あまりにも救われないその心は同情すら誘う。
 そんな中出会ったのがドッドだったのだ。彼の組織「ザ・コーズ」はフレディにとって家族にも等しいものだ。誰もが優しく、フレディを治療することに献身的にもなる。まさに彼の理想像なのである。
 そんなフレディをドッドは初め、信者としては迎え入れない。フレディが密造する酒を手に入れたかったから、仲間に率いれた。ここに教祖と信者という関係とは別のものが出来上がる。奇妙だが、対等な友情だ。さらにドッドはフレディを治療することに自らのアイデンティティを感じ始める。「非科学的でカルトのよう」な自分の理論を証明する最高のきっかけになり得るからだ。
 でもそれは間違いなく上手くいかない。フレディは熱心な信者ではなく、ドッドの“友人”だからだ。彼を否定する者が現れるとフレディが怒り狂うのは、教義を侮辱されたからではなく、ドッドを自分なりの方法で助けるためだ。つまり、(「ザ・コーズ」風に言うと)1950年代の姿としての彼らは表面的な部分で決定的な違いがある。絶対に相容れることのない水と油なのだ。
 
 だからこそ、どうでも良いような会話の場面ですらも重要となる。登場人物たちの微妙な感情の変化を見事に捉えているから、一瞬たりとも見逃すことができない。
 特に最後の場面でのフレディとドッドの会話は印象的だ。歌を口ずさむドッドと笑いながら涙を流すフレディ。この映画の特徴である「不気味だが、思わず笑い出しそうになる。それでいて心を揺さぶる」シーンそのものだ。

 まだまだ言いたいことはたくさんあるが、自分の中でも整理がついていない。とてもじゃないがこの映画を語り尽くすことはできないのだ。だが一つだけはっきり言えることがある。「ザ・マスター」は紛れもない傑作だ。

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2013/03/28 (Thu) 愛、アムール(映画館で鑑賞)

愛、アムール

原題   Amour
公開   2012年(アメリカ)
上映時間 127分

監督   ミヒャエル・ハネケ
製作   マーガレット・メネゴーズ/シュテファン・アルント
     ファイト・ハイデシュカ/ミヒャエル・カッツ
脚本   ミヒャエル・ハネケ

出演   ジャン=ルイ・トランティニャン ···ジョルジュ
     エマニュエル・リヴァ      ···アンヌ
     イザベル・ユペール       ···エヴァ

あらすじ
 音楽家夫婦のジョルジュとアンヌは、パリの高級アパルトマンで悠々自適な老後生活を送っていた。しかし、ある日突然、妻のアンヌが病に倒れ、手術も失敗して体が不自由になってしまう。ジョルジュは病院嫌いな妻の願いを聞き、車椅子生活になったアンヌを支えながら自宅で暮らすことを決意。2人はこれまでどおりの生活を続けようとするが、アンヌの病状は悪化していき……。





評価:5点5点中)


レビュー
 ミヒャエル・ハネケと聞くと、暴力をテーマとした映画ばかり思いつく。「ファニーゲーム」はその代表格だが、ぶっちゃけすべての映画が何らかの形で、人間の潜在的な暴力を描いていると言っても良い。一応ラブストーリーの「ピアニスト」だってアレなんだし…。
 だから今回の「愛、アムール」はちょっと意外だった。そういったシーンは一切なく、むしろあまりにも閑静だから逆に怖いくらいだ。だが見ていくうちに、これは紛れもなく彼の監督作であることが分かってくる。

 この映画では冒頭のシーン以外、すべて老夫婦のアパルトマンでストーリーが展開される。そのストーリーも一見ありがちなものだ。病に冒された老婆とそれを支える夫の姿を追い続けるだけ。これだけ無駄がなく、シンプルな映画なのに非常に力強いテーマを感じることができる。

 一つ目の理由として挙げられるのは、ジョルジュとアンヌの老夫婦を演じたジャン=ルイ・トラティニャン、エマニュエル・リヴァの存在だ。彼らもまた映画と同じく、繊細だが芯のある演技を見せてくれる。
 エマニュエル・リヴァは少しずつ衰えていくアンヌに完璧になり切っている。外面的な部分では、右半身付随の状態を演じなければならないのに、それがまったく不自然でない。少し回復したり、逆にさらに衰えを見せるときも、非常に微妙な違いを出すことで、精神的に弱っていく様をも見せている。
 また静かな語り口でも、心の奥底には一人の人間としての確固たるプライドを抱えていることがはっきりと分かる。病人として扱われることを嫌がるシーンでも、ありがちな頑固者の老人ではない。夫に負担をかけているのではないかと負安易思い、衰弱していく自分の体が(言い方は良くないが)惨めで、怖いのだ。それぞれの行動から表面的ではない、深層心理が見えてくるのが彼女の演技の素晴らしい点だ。

 そのアンヌの夫ジョルジュを演じたトラティニャンの演技にも脱帽した。お世辞にも「穏やかな老人」とは言えないジョルジュだが、彼の言動からいかにアンヌを大事に思っているかが伝わってくる。ジョルジュとアンヌがする日常的会話の場面はお気に入りだ。直接的なことは話さずに至って普通のことしか口にしないのに、一つ一つに愛情が感じられて微笑ましい。
 だからこそ、生きることを拒否するようになるアンヌを必死で支えようとするジョルジュの姿は何とも痛ましいのだ。彼女の回復を心から願っているにもかかわらず、その瞳には常に絶望が漂っている。彼にはアンヌの行く末がはっきりと分かっているのだ。かろうじて生きてはいるものの、衰弱し切ったアンヌの姿に呆然とし、顔には疲労感と哀しみが浮かぶ。誰よりも愛しているが故に、自分以外の人には衰えたアンヌを見せようとしない。彼女に惨めな思いをさせたくないからだ。
 彼のこういった矛盾した感情が映画の根幹になっていると言っても良い。題名が愛(アムールはフランス語で「愛」)とついているが、ストレートにその愛情を示すことはないのだ。あえて間接的、時には真逆の行動がジョルジュとアンヌの間の本当の愛を示してくれる。

 終盤でジョルジュが取った行動はある意味で矛盾を孕んでいない。夫婦どちらの望みも叶えた形だからだ。だがミヒャエル・ハネケはその「究極の愛」を美しい演出でカモフラージュなどしない。ジョルジュの行動を美化することなく描いているから、あまりのストレートさに衝撃を覚えた。私個人は彼の心情に同調するが、監督は誰の肩を持つこともなく、かなり突き放した描き方をしている。なぜなら、感動を煽るようなことをしなくても十分感動的だからだ。むしろわざとらしい部分がないから、夫婦の感情をダイレクトに受けることになる。

 エンディングは曖昧な描かれ方をしているから、人によっては釈然としないだろう。だが監督が見せたかったのは「2人がどうなったのか」という事件の顛末ではない。ジョルジュとアンヌは最後まで愛し合っていたことを描きたかったのだ。そう考えると、あれこそが最もふさわしいエンディングではないだろうか。
 今回はしつこいほど「愛」という言葉を使ったが、「愛、アムール」ほどこの言葉を実感できた映画は今までにない。もしまだ見ていないなら、今すぐ劇場に足を運んで欲しい。唯一無二の傑作である。

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