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2013/03/12 (Tue) 東ベルリンから来た女(映画館で鑑賞)

東ベルリンから来た女

原題   Barbara
公開   2012年(ドイツ)
上映時間 105分

監督   クリスティアン・ペツォルト
製作   フロリアン・ケルナー・フォン・グストルフ
脚本   クリスティアン・ペツォルト/ハルーン・ファロッキ

出演   ニーナ・ホス       ···バルバラ
     ロナルト・ツェアフェルト ···アンドレ
     マルク・ヴァシュケ    ···ヨルク


あらすじ
 東ドイツの田舎町の病院へ赴任してきた美しい小児外科医バルバラは、西側で暮らす恋人ヨルクのもとへ脱走する計画を進めていた。しかし、同じ病院に勤務する誠実なアンドレと出会い、彼の誠実さに惹かれていく。バルバラは医師としての自分を求められている東の生活と、自由で豊かな西への生活、そして2人の男性の狭間で揺れ動く。





評価:4点(5点中)


レビュー
 ベルリンの壁が崩壊したのは1989年のこと。つまりもう20年以上も経っているのだ。完全に歴史上の一事件と化しつつあるが、この映画はそれよりもさらに前の1980年の話である。

 「グッバイ、レーニン!」など、東西対立が個人に与えてきた影響を描いた映画はあったが、「東ベルリンから来た女」はそれをさらにミニマムな領域の話に落とし込んでいる。描かれるのは「東西対立により引き裂かれた男女の悲恋」ではなく、「2人の男の間を揺れ動く1人の女」の物語だ。

 東ドイツの片田舎を舞台にしているため、冷戦などの影響を直接的な形として目にすることは少ない。時折登場する「外国製医療機器の話」や「外国人用ホテル」からその片鱗を窺い知ることはできるが。
 それでも人々の生活には多大な影響を及ぼしている。主役のバルバラはもちろんのこと、アンドレも心の底では西ドイツ行きを望んでいるし、バルバラの恋人ヨルクは東ドイツ脱出の手配をする(この映画唯一のサスペンス要素だ)。最も顕著なのはバルバラに助けを求める、作業所から逃走したステラという少女の存在だろう。矯正という名の下に少女に過酷な労働を強いるその環境は、いかにも旧社会主義国的なものだ。このステラ役のバウアーがなかなか上手で、あどけなさを残しながらも、大人になりかけている少女を迫真の演技で見せてくれる。実際、アンドレよりも彼女の存在の方が、終盤のバルバラが出た行動の直接的な原因となっている。

 だがそれらの歴史的要素よりも、この映画はバルバラの引き裂かれる感情に重きを置いている。東ドイツに未練を残さないために、誰とも深くかかわり合おうとしない彼女の硬い表情は、切実な胸の内を表している。だからこそアンドレと自然に打ち解けていく様子が微笑ましくもあり、悲しくもあるのだ。
 ニーナ・ホスは、下手すると観客にも嫌われることに成り得る「嫌われ者」を繊細に演じた。彼女の心情の変化していく様をが手に取るように分かるから彼女の気持ちが痛いほど分かる。彼女が揺れ動く、2人の男がどちらも魅力的だからなおさらだ。

 ツェアフェルト演じるアンドレは単純そうに見えてとても複雑な人物だ。おおらかそうに見えて卑屈でもあり、開けっぴろげでありながら繊細でもある。微妙な心の動きを完璧に捉えているから、一つ一つの会話のシーンが偽のものとは思えない。そこにはバルバラへの一途な思いがあるからこそ、全体としての彼の方向性は一切ぶれることがなく、観客も彼の肩を持ちたくなる。
 対するバルバラの西ドイツの恋人ヨルクは洗練されていて、いかにも資本主義国家の人間だ。それでいて鼻につかないのが不思議である。おそらくバルバラとの愛し合う様子が、2人とも心から嬉しそうで偽りのものには到底見えないからだろう。

 この複雑な人間関係が、彼女のバックグラウンドとともに重なり合って描かれる。残念なのは、ほとんどの人物はバルバラとしか係わり合うシーンがない。アンドレとヨルクは一度たりとも絡まないし(これが逆にバルバラの秘密となり、ドラマを面白くしているとも言えるが)、その他の脇役には生活感がまるで無い。それなのに「当局に監視される」バルバラを描くものだから、中途半端感が否めない。彼女が他人を避け、他人が彼女を嫌っている様子があまり見えてこないのだ。

 それでもバルバラを取り巻く、悲しい恋の話には胸を打たれるだろう。幸せな場面と悲痛を感じさせる場面が程よく織り交ぜられていて、登場人物に共感できること間違いなしだ。歴史的事実を描いた作品には珍しい「個人的な」作品である。

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2013/03/12 (Tue) ゼロ・ダーク・サーティ(映画館で鑑賞)

ゼロ・ダーク・サーティ

原題   Zero Dark Thirty
公開   2012年(アメリカ)
上映時間 157分

監督   キャスリン・ビグロー
製作   マーク・ボール/キャスリン・ビグロー/ミーガン・エリソン
脚本   マーク・ボール

出演   ジェシカ・チャンスティン ···マヤ
     ジェイソン・クラーク   ···ダン
     ジョエル・エドガートン  ···パトリック


あらすじ
 9・11テロ後、CIAは巨額の予算をつぎ込みビンラディンを追うが、何の手がかりも得られずにいた。そんな中、CIAのパキスタン支局に若く優秀な女性分析官のマヤが派遣される。マヤはやがて、ビンラディンに繋がると思われるアブ・アフメドという男の存在をつかむが……。





評価:4.5点(5点中)


レビュー
 昨今の世界で起きた事件の中でも、最大の驚きを持って迎えられたのが「ビン・ラディン殺害」であろう。元々ビン・ラディンの捜索に四苦八苦するCIAを描くつもりだったらしいが、この一報を聞いて急遽脚本を変えたらしい。正直そのニュースを聞いたときは「どうなることやら」と思っていたが、それは私の完全な思い違いであった。

 まず映画は9.11のときに様々な人の間で交わされた電話のコラージュからスタートする。画面は真っ暗のまま、人々の恐怖を音声のみで描き切っている。このシーンに代表されるように、「ゼロ・ダーク・サーティ」は全編を通して音響効果が素晴らしい出来映えだ。爆破のシーンも、電話の盗聴も、終盤の作戦決行時も「音」が映画の持つ異常なまでの緊迫感を生んでいる。

 CIAによる捕虜の拷問シーンも前半では盛りだくさんだ。容赦ない水責めに合わせたり、陰部を露出させたまま首輪をつけて狭い箱の中に閉じ込める。オバマがあれほど捕虜への拷問を禁止すると言っていたのもうなずける、凄まじい描写だ。
 ビン・ラディン殺害に成功したCIAを、ただ賛美するだけに終わらないゆえんはここにある。このシーンだけでなく、CIAに批判が飛んで拷問を取りやめた後半でも、「拷問」がいかに有効な手段かを暗示する台詞が登場する。極悪非道のテロリストを洗いざらい見つけ出すために、極悪非道な手段をとるのだ。いかに「大義」というものが不安定なのかを指し示している。

 こういったシーンの冷酷さが際立つのは、"The Killer"と呼ばれるマヤを演じたジェシカ・チャンスティンによるところが大きい。今まで彼女が出演した映画をいくつか見たが、毎回まったく異なる役柄に完璧になり切る。今回も例外ではない。捕まえたアルカイダの幹部を尋問する時でも欲しい情報を吐かなければ、傍にいる男性の軍人に殴るよう促す。人間がする行動とは思えないことを繰り返し、精神が疲弊していく様は時折描かれるが、それでも申し訳程度だ。ひたすら全面に押し出されるのは、ビン・ラディン捜索のためなら何をすることも厭わないマヤの冷酷さと異常な執着心だ。

 キャスリン・ビグローは「ハート・ロッカー」でもそうだったが、戦時下などの異常な状況における「麻痺した」人間を描くのがとても上手い。拷問を加えた後は優雅にコーヒーをすすっている。こういった場面が今回ではより強調されているが、それに伴い「ハート・ロッカー」のときよりも、個々の人間の内部の描写に欠けているとも感じた。

 というのも、主人公のマヤには最後まで感情移入できない。いくら9.11の主犯であるからとはいえ、彼女のビン・ラディンへの執着心は異常としか言いようが無い。なにしろ上司にすら「気でも狂ったか」と言われる始末なのだ。劇中の人物が理解できないことを観客が理解できるはずが無い。憎悪にも似たその感情をもう少し丁寧に描けば、ラストシーンもより深みが増したのではないだろうか。
 その他の人物も同様だ。すべての人物が「ネプチューン・スピア作戦」実行までの駒に過ぎず、それまでに感じる葛藤などは「ほぼ」見えてこない。「ほぼ」というのは、作戦決行時に一兵士が困惑した表情を見せるシーンがあるからだ。だがそんな彼もコードネームで呼ばれる特殊部隊の1人でしかなく、あまりにも大きな事件の影に埋もれてしまっている。

 さらに「ビン・ラディン殺害」に対する監督なりの考えも一切見えてこない。いや、オリバー・ストーンのように自分の考えをゴリゴリ押し付けてくるのもどうかと思うが、「ゼロ・ダーク・サーティ」は一定の筋道ですら見せない。
 そもそもキャスリン・ビグローは社会派映画監督ではない。彼女は一流のアクション映画監督だ。自分の得意分野を理解しているからこそ、テロリズムにおけるイデオロギーを映画に込めるのではなく、作戦決行までの張り裂けそうな緊迫感を描く方を選んだのだ。
 だがこんなにタイムリーな題材を用いているのだから、何か「一つの答え」を提示することはできなかったのか。「ゼロ・ダーク・サーティ」が映画史に残ることは間違いないのだから、もう少し大胆なアプローチもを取っても良かったのではないだろうか。

 しかし先ほども言及した通り、キャスリン・ビグローは最高のアクション・サスペンス監督だ。テロリストによる自爆テロの場面はあまりのことに見ているこちらも息を呑む。会議室のシーンでさえも、(ビン・ラディンの潜伏先を発見してからは、あまりにもじれったいが)捜索に必死になるCIAたちの対決が見られる。ほとんど戦闘シーンは無いが、2時間半の上映時間で飽きがくることはまったくない。
 そして何と言っても、終盤の作戦決行のシーン。彼女の手腕が遺憾なく発揮された、手に汗握ること間違いなしの名場面だ。通常のカメラと緑色の暗視カメラに切り替えることで、闇夜に浮かぶ特殊部隊の不気味な姿が一層不安感を煽る。銃撃が開始されても、むやみやたらに撃つことは無い。標的を確実に、かつ静かに仕留め、倒れたその体にも銃弾を撃ち込む。冷静さと残酷さを兼ね備えた、リアリティあふれる場面だ。

 おそらくアルカイダに関連した映画はこれからも製作されることだろう。しかし、事件後わずか1年半後に公開された点、それでも最高のクオリティを保っている点でこの映画は歴史に名を刻むだろう。必見の作品である。

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5点=最高
4.5点〜3.5点=面白い
3点〜2.5点=微妙
2点〜1点=駄作
0.5点〜0点=ゴミ。 

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