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2013/03/21 (Thu) クラウド アトラス(映画館で鑑賞)

クラウド アトラス

原題   Cloud Atlas
公開   2012年(アメリカ)
上映時間 172分

監督   ラナ・ウォシャウスキー/トム・ティクヴァ/アンディ・ウォシャウスキー
製作   グラント・ヒル/シュテファン・アルント
     ラナ・ウォシャウスキー/トム・ティクヴァ/アンディ・ウォシャウスキー
脚本   ラナ・ウォシャウスキー/トム・ティクヴァ/アンディ・ウォシャウスキー
原作   デイヴィッド・ミッチェル『クラウド・アトラス(Cloud Atlas)』

出演   ジム・スタージェス  ···アダム・ユーイング
     ベン・ウィショー   ···ロバート・フロビシャー
     ハル・ベリー     ···ルイサ・レイ
     ジム・ブロードベント ···ティモシー・カベンディッシュ
     ペ・ドゥナ      ···ソンミ451
     トム・ハンクス    ···ザックリー
     (各時代の主人公のみ記載)


あらすじ
 ある夜、星空の下で老人が自らの半生を語りだす。しかし彼は、様々な時代と場所に生きる人々の物語がつながっていることを知る由もなかった。
 1849年。弁護士のアダム・ユーイングは、義父の依頼で奴隷売買の契約を結ぶため南太平洋の島を訪れるが、帰りの船の中で病に冒される。そして彼は病床の中、密航者のオトゥアと出会う。
 1936年。作曲家を志すロバート・フロビシャーは自分を勘当した父親を見返すために、著名な作曲家エアズに師事をする。そんなある日、ロバートは幻の名曲「クラウド アトラス 六重奏」を生み出すのだが…。
 1973年。ジャーナリストのルイサ・レイは、ある原子力発電所の報告書から企業の隠蔽を暴きだそうとする。しかし協力者が次々と消され、彼女の命を狙う者がいることに気づく。
 2012年。編集者のカベンディッシュの担当する作家ダーモットが書評家を殺したことで、彼の著作はベストセラーに。しかし印税の分配を巡り、カベンディッシュダーモットの弟たちから脅迫される。そこで彼は兄に助けを求めるが…。
 2144年。ネオソウルのレストランで給仕をする、クローンのソンミ451。あるとき彼女は革命家のヘジュ・チャンに助けられ、抑圧された生活から抜け出した。彼から真実を伝えられたソンミは反政府運動に身を投じることを決意する。
 2321年。文明崩壊後の地球でヤギ飼いとして生計を建てるザックリーは、物々交換にきたメロニムと出会う。初めは彼女に心を許さないザックリーだったが、彼女と同行するうちに地球の真実を知り…。





評価:3.5点(5点中)


レビュー
 原作はかなり有名らしいが、私は手に取ったことが無い。この手の映画は原作が比重を占めることが多いが、これはあくまで映画のみのレビューである。

 さて初めこの映画の存在を聞いたときは正直不安だった。なにしろ6つの違う時代の話が交差するというのだから、複雑きわまりない。上手く処理しないと、観客が混乱して話についていけなくなることすらある。しかもそれぞれの話を成立させるためには時間も必要だ。逆に言うと、ほぼ3時間の上映時間の中、見ている側が飽きるようなことがあってはならない。非常に多大な努力が必要である。

 しかし、それらの点ではこの映画は見事にクリアしていると言える。少なくとも私は3時間の間集中できたし、ストーリーも上手くまとめられていたから混乱もしなかった。
 事実、脚本は良くできていると思う。「すべての罪が、あらゆる善意が、未来を作る」という輪廻転生的なテーマを描くために、必要最小限の情報だけをピックアップし、筋道立てて整理されている。ある時代に登場した人や物が別の時代をつなげるものとして再度現れるのは、なかなか上手い見せ方だ。テンポよく時代も切り替わるから、この映画に中だるみは存在しない。

 しかしその「良い部分」がそのまま「悪い部分」になっているのも事実だ。まず、ピックアップされた情報があまりにも絞られているから、それぞれの時代が(当然だが)非常に薄っぺらい。それにあまりにもテンポが良すぎるせいで、ある時代の登場人物に感情移入し始めた所で、次の時代に移ってしまう。全体的なテーマは理解できても、個々の登場人物の存在が軽ければ何の意味も無い。

 もちろん、それぞれの時代の出来にも違いがある。私のお気に入りは1936年、2012年、2144年だ。一番は1936年だが、この時代は並のSF映画とは思えないほど繊細だ。主人公のロバートはゲイであることを隠し、作曲に励むのだが、ベン・ウィショーはそんな彼に完璧になり切っている。自尊心が強く自分に才能があることを信じて疑わないが、恋人のことはひと時も忘れない。彼が自分のアイデンティティに苦しむ様子や恋人を思い焦がれる様子に人間味あり、登場人物の中でも最も共感できる存在だ。

 2012年は他と比べてかなり軽いタッチで描かれている。意地悪な兄に騙されて虐待老人ホームにぶち込まれたカベンディッシュの逃亡劇が主軸なのだが、ジム・ブロードベントは自分の持ち味を良く生かしている。口が悪く、だらしない性格なのに、どこか憎めない。ほとんどの時代が重苦しいトーンだから、彼の存在は唯一と言っても良い心安らぐものである。
 
 2144年は映画全体のテーマにも大きく関わってくる。ストーリー展開も他とは違い(厳密に言うと2321年も一緒だが)回想形式となっている。初めのうちソンミ451は外の世界を知らないが、同じくクローンのユナ939と映画を見たことで、次第に日々の生活に疑問を抱き始める。なぜ複製種は純血種(クローンでない人)に従事しなければならないのか、契約満了後はどうなるのか。こういった重苦しいテーマがSFらしい映像と共に語られていく。
 その後ヘジュと出会ったことで、知識をつけたソンミは革命のシンボルとなる。しかし、できればこの心の移り変わりを丁寧に描いて欲しかった。というのも、あの衝撃を見せつけられて「反政府運動を展開せねば」となるソンミの気持ちは理解できるが、あれでは周りの革命家にまんまとのせられたように見えなくもない。ソンミがクローンとして植え付けられた意識ではなく、自らの意志で決断したことの描写が必要だったのでは。
 そうは言うもののソンミ451を演じたペ・ドゥナは素晴らしい。彼女とヘジュの関係こそが「輪廻転生」に最も即しているし、何より“愛”のために革命に身を投じたという彼女の眼差しは、揺るがない決意で形作られている。

 その他の時代も悪くはないが特筆すべき点も無い。1849年はそもそもストーリー的にも比重が置かれていない。1973年はその時代らしい社会問題を取り扱っているが、表面をサラッとなぞるだけで薄っぺらいのには変わりない。何より悪いのが主役のハル・ベリー。あまりにも70年代っぽくなくて、過剰な「ウーマン・リブ」的女性像が鼻につく。台詞をただ読んでいるかのようなシーンもあり、とてもオスカー女優とは思えない(ただ、後半に登場する逃亡劇は一応70年代アクションを意識していたが)。でも一番の問題は2321年。この時代が一番重要なはずなのに、真実を明かすまでのくだりが早すぎて何の感傷もない。トム・ハンクスも悪役を演じていた時代では(オーバーだが)良かったのに、この時代はただの一つの駒のように動いている(ハル・ベリーは言わずもがな)。彼の狂気の化身オールド・ジョージーもあまりにもステレオタイプな描写で煩わしい。

 そして全編を通して問題となっているのが、特殊メイク。当然様々な人物を演じるためには必須となるが、そのほとんどは上手くいっていない。韓国人のペ・ドゥナが西欧人を演じ、ハル・ベリーがユダヤ人を演じる。申し訳ないが、あまりにも似合っていなくて不自然だ。だが最も酷いのは2144年のネオソウルの住民だろう。どいつもこいつも西欧人の考えるアジア人らしく「つり目で平たい顔」だ。はっきり言ってアジア人というより火星人に近い容貌なのだが。
 それとは反対に大げさな特殊メイクでも上手くいっている人もいる。ベストは驚くことにヒューゴ・ウィーヴィングの女装だ。彼は2012年で老人を虐待する看護師を演じているのだが、これがなかなかゴツくて怖いのだ。普段とは違うコミカルな要素と彼の演技力が相まって、1973年で彼が演じるヒットマンの数倍良い。

 こうして見ると、「輪廻転生」を表現するために無理に同じ役者を使わなくても良かったのではないだろうか。そもそも各時代の主人公には共通して「彗星型の痣」があるわけだし、各々のキャラクターの共通性もにおわせるだけで良かったのではと思う。
 心に残るシーンはそれなりにあった。だが「クラウド・アトラス」という本の映画化としては、ベストな形とは言えない。むしろ壮大な物語をここまでまとめあげたことだけでも評価に値する。

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2013/03/21 (Thu) ダークホース リア獣エイブの恋(映画館で鑑賞)

ダークホース リア獣エイブの恋

原題   Dark Horse
公開   2011年(アメリカ)
上映時間 84分

監督   トッド・ソロンズ
製作   テッド・ホープ/デリック・ツァン
脚本   トッド・ソロンズ

出演   ジョーダン・ゲルバー    ···エイブ
     セルマ・ブレア       ···ミランダ
     クリストファー・ウォーケン ···ジャッキー


あらすじ
 父親が経営する会社で働く30代の独身男エイブはマザコンで、フィギュア収集が趣味のオタク。そんなエイブが、友人の結婚式で出会った女性ミランダに一目ぼれし、猛烈なアタックを開始。念願かなって付きあうことになるが、ミランダはある重要な秘密を隠していた。不安にかられたエイブは次第に妄想に襲われ、現実との境界線を見失っていく。





評価:4点(5点中)


レビュー
 予告編だけ見ると、「ダメ男の人生がある日を境に良くなっていくが、今までの行いが仇となって重大なミスを犯すものの、最後は自らの過ちに気づきやり直す。」というストーリーに思うかもしれない。というより書いてて思ったのだが、この予想は“ストーリーの展開”という意味では正解だ。だが監督の名前を良く見てほしい。“あの”トッド・ソロンズだ。何とも遣り切れない気分になること間違いなしである。

 主人公のエイブは感情移入の余地が無い真性のダメ男ではない。なぜ自分が今のような状況に陥ったのか薄々気づいているが、今更自分ではどうしようもなくなっているのだ。前半部分では彼のそんな「ダメな部分」をコミカルに描いていく。ここら辺の笑いのセンスはまあまあといった所だろう。

 だが開始直後から登場する生気のない女ミランダの存在が、物語にソロンズ特有の重苦しいエッセンスを加えている。彼女がどうしたいのか、エイブにも観客にも分からない。この謎めいた要素が前半部分のミソなのだが、正直言って前半部分はこれだけで保っているに等しい。全体が持つけだるい雰囲気があまりにも強くて時折いらつきを覚えるほどだ。

 だがほんの少し我慢して、ミランダが自身の秘密を明かせばソロンズ・ワールドの始まりである。実を言うと彼女の秘密は常軌を逸したものではない。非常に稀だが、誰にでもあり得る。しかし何の危機感も無く、他人から気を使われて成長し続けたエイブは初めて人生の危機と言えるものに直面する。現実なのか夢なのか、まったくシームレスにつながれるから訳が分からなくなってくる。この日常生活に差し込まれた狂気のバランスが非常に見事で、よくあるコメディ映画が、いつのまにか人間のエゴイズムをえぐり出す「イヤな映画」に変貌している。(と言いつつ、私はその「イヤな」部分が素晴らしいと思ったが)

 ここまでの独特な空気感を作り出せたのは役者たちの絶妙な演技のおかげだ。誰もが初めは大げさなキャラクターなのに、次第に人間味を帯びていく様は酷くリアルだ。クリストファー・ウォーケンやミア・ファローといった重鎮たちは文句無しだ。2人はエイブの両親を演じるのだが、父親のジャッキーは愛しているが故に息子に厳しく接しようとする。母親は反対にエイブにどこまでも甘く、30代半ばを過ぎた息子と今でも仲良くバックギャモンをしている。だがどちらの顔にも疲れが見て取れる。誰もがエイブのために動いているのに、エイブは変わろうとしないからだ。
 ジャッキーの会社で働くマリーは、“エイブの妄想では”二面性がある。この正反対の「現実」と「妄想」のマリーをドナ・マーフィが好演。なぜ彼女がエイブをそこまで気にかけるのか具体的には分からないが、そこに説得力を与えたのは彼女だろう。
 しかしミランダを演じたセルマ・ブレアは最初から最後まで陰気くさいしゃべり方ばかりだ。こっちまで気が滅入る。元カレとの関係も消化不良だし、そもそも「エイブのことが好きじゃない」というより「何も考えていない」ように見える。

 しかし何と言ってもエイブ役のジョーダン・ゲルバーがベストだ。どこまでも自己中心的で救いようの無い男なのに、嫌悪感というより哀れみを感じさせる。この境界線ギリギリの演技がユーモアとアイロニーのスレスレを行くこの映画に直結しているのだ。
 だから終盤で迎える彼の結末(本当に急展開)はあまりにも悲しい。彼は多くの人に愛されていたのに、その事実に気づくのがあまりにも遅すぎた。こんなに皮肉的な(そして愛情に満ちた)シーンはお目にかかれない。

 トッド・ソロンズにしては甘めの展開ではないだろうか。だがここで終わらせないのがソロンズ流だ。エンディングでは本当に皮肉な結末が待っている。エイブが居ようと居まいと、何も変わりはしない。確かに彼は愛されてはいた。だが誰もが知る通り、誰からも必要とされていなかったのだ。

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2013/03/21 (Thu) 二郎は鮨の夢を見る(映画館で鑑賞)

二郎は鮨の夢を見る

原題   Jiro Dreams of Sushi
公開   2011年(アメリカ)
上映時間 81分

監督   デヴィッド・ゲルブ
製作   ケヴィン・イワシナ/トム・ペレグリーニ/デヴィッド・ゲルブ

出演   小野二郎
     小野禎一
     小野隆士


あらすじ
 アメリカ人監督のデビッド・ゲルブが、東京・銀座の名店「すきやばし次郎」の店主で寿司職人の小野二郎さんに密着したドキュメンタリー。大正14年(1925年)生まれで現在も現役の小野二郎さんが店主を務める「すきやばし次郎」は、「ミシュランガイド東京」で5年連続の三ツ星を獲得し、世界のセレブも訪れる名店として知られる。その寿司に感銘を受けたゲイブ監督が、3カ月にわたり二郎さんに密着。二郎さんの仕事に対する誠実な姿勢や、父を超えようと切磋琢磨する2人の息子との師弟関係などを描き出していく。





評価:5点5点中)


レビュー
 「すきやばし次郎」。当然私は行ったことが無いし、これから行くかどうかも分からない。だがこの映画を見てしまうと、いつかは「本物の」鮨を食べたいと思ってしまう。

 このドキュメンタリーはごく狭い世界を映し出す。つまり「すきばやし次郎」で働く人々の様子を切り取っていく。そこに周囲の人々のコメント、各々がなぜ寿司屋になろうと決めたのかというバックグラウンド、そして鮨そのものを見せていくのだ。

 基本的に周囲の人々が小野二郎を褒めそやす様子は別段面白くともない。いや、正確に言うと山本益博のコメントはいつものテレビタレントを見ているかのようで少々わざとらしい。しかしこのパートでは小野二郎そのものを暴いていくのではなく、彼から少なからず影響を受けた人々(2人の息子、弟子たち、客、もちろん山本自身も)の証言を元に「二郎」の存在を浮き彫りにしていく。この手法で正解だろう。なにしろ彼自身の生い立ちを述べるには1時間ちょっとの映画では役不足だし、第一普段の小野二郎は良くいるタイプのおじいさんにしか見えない。

 だがここからがこの映画のすごいところだ。当然小野二郎が鮨を握る所を撮らないと話にならないのだが、この演出がとにかく素晴らしい。彼の手元にピントを合わせ、フィリップ・グラスの曲と共に、鮨を握る二郎の手がスローモーションで映し出される。一切の迷いを含まず、次々と作られていく“作品”。大げさだと思うかもしれないが、そのようでしか文字では形容できない。この完成した鮨にだけ焦点を当てることで、びっくりするほど美しく、そしてもちろん美味しそうに撮られている。
 映像で食べ物の美味しさを伝えることは困難だが、この映画はそれを見事にやってのけた。ただしスローモーションを多用しすぎていて、「二郎の鮨」を美化しすぎているきらいはある。彼はあくまで板前であって芸術家ではない。それに過剰な演出を施さずとも、その過程を見るだけで十分驚嘆に値する。

 もう一つ忘れてはならないのが、二郎と彼の息子たちの関係。長男の禎一は本店の跡取りだが、当の二郎は今でも板場に立っている。禎一は二郎をもちろん尊敬しているが、ある種の感情を抱いていることは彼の表情から見て取れる。さらに次男の隆士は本店ではなく六本木の支店長をしている。彼は彼で本店の二郎、禎一とは違う「親しみやすい」寿司屋を目指している。互いを尊重し合いながらも、それぞれが自分のプライドを賭けていることが分かる。ただの親の七光りではないのだ。

 これ以上この映画のことを文で説明してもありきたりな賛美になるだけだろう。もしあなたの財布に余裕があるなら、今すぐ「すきやばし次郎」に足を運んでほしい。なにしろミシュランの三ツ星だ。「それだけのために出向く価値のある店」なのだから。
 そんなお金(劇中では予約の場合三万円からと言っていた)など無い、というあなたはこの映画を見るべきだ。彼らの鮨にかける思いとそれぞれが持つ哲学、そして彼らが作り出す鮨を最高の形で見ることができる。

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