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2011/06/02 (Thu) ビヨンド・サイレンス(家で鑑賞)

スクリーンショット(2011-06-02 23.00.13)

監督 カロリーヌ・リンク
出演 シルヴィー・テストゥー
   エマニュエル・ラボリ
   ボヴィー・シーゴ

あらすじ
 両親の深い愛に包まれて、幸せに暮らす少女ララ(テストゥー)。彼女は幼い時から手話を覚え、ろうの両親の通訳を務めていた。そんなある時、ララはクラリネットに夢中になる。やがて彼女は音楽家への道を目指すが、父マーティン(シーゴ)は猛反対し、2人の間には深い亀裂が生まれてしまう。

評価 3点(5点中)

レビュー
 あらすじだけ見るとこの手の映画にありがちなお涙ちょうだい系の映画に見えるかも知れない。だがいざ見てみると中身はむしろあっさりとしている。そして話の主軸に来るのは聾唖者の父親との確執よりも、ララのクラリネット奏者への成長物語なのだ。これがこの映画が持つ感傷をわざとらしく無く、かつ感動的に描いている。
 前半のララが子供の頃の話は非常に良くできている。ここでは聾唖者を家族に持つララとその親戚の話がメインに来ており、ここでの周囲の人間の対応が非常に自然なのだ。過去に自分の父親から受けた罰により音楽が嫌いになって意志待ったマーティンとクラリネット奏者になる夢が破れたその妹との確執が大きいことがここで説明される。父親の音楽へのコンプレックスは痛いほど伝わり、ララが音大を受験することを知ったときの怒りも複雑な感情からわき起こったことであることを迫真の演技でシーゴは演じている。音が聞こえる人と聞こえない人の互いにわかり得ない気持ちの表現が巧みであり、細部にまでこだわった俳優達の演技のおかげで聾唖者との生活がリアルに再現されているようだ。
 だが主軸に来ているはずのララの話は退屈で面白味に欠ける。ララ自身は聾唖者でないことが強みでもあり弱みにもなってしまったのだ。彼女が聾唖でないことでわざとらしい感傷は誘わず、通常とは異なる切り口で耳が不自由であることの問題へ切り込むことができる。さらに観客は自分を主人公に投影させることができるので彼女の気持ちに共感しやすい。ララ自身も含めこの映画に登場する人物は個性豊かで、楽観的でありながら悲しみも兼ね備えている。のにもかかわらず、なぜかララが音大受験の準備をし始めると飽きが来る。その理由は「主軸の話」と「主題」の相違にあるだろう。主題は「音楽家を志す娘を聾唖の父親は認めることができるのか」ということであるからメインの話は(少々のずれはあっても)父親との確執でなくてはならない。が、先にも書いたように主軸の話は「ララの成長物語」なのだ。しかもすべてその話ならまだしも、前半は「聾唖者を家族に持つ人々の葛藤」であるからたちが悪い。見ている方はこれがこの映画のストーリーなのだな(あくまでもララがクラリネット演奏家になる話はサブ)と判断するのに、なぜか途中でこの映画は方向転換をする。だからリズムが崩れて急に退屈する。
 しかし、この映画で描かれている「普段の生活」はリアリティにあふれていて見る物を引きつける。エンディングも一筋縄ではいかないところがアメリカ映画と違って好感が持てる。前半だけでも見る価値がある。後半はおまけだと思ってもいい。主軸がずれてもここで描かれている家族の愛は本物で間違いなく感動するだろう。

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