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2012/10/06 (Sat) 羅生門(家で鑑賞)

羅生門

監督 黒澤明
出演 三船敏郎
   森雅之
   京マチ子

あらすじ
 平安時代、羅生門の下で雨宿りをする下男相手に、旅法師と杣売りが奇妙な話を語り始める。京の都で悪名高き盗賊多襄丸が山中で侍夫婦の妻を襲い、その夫を殺害したという。だが、検非違使による調査が始まると、彼らの証言はまったく異なっており……。

評価 5点5点中)

レビュー
 恥ずかしながら、今回初めて黒澤映画を見た。よく海外の有名な監督が必ずと言っていいほど「私のベスト10」みたいなランキングで黒澤の映画を挙げていた。しかし正直見るまでは、なぜそこまで支持されているのか分からなかった。だが、一度見ただけでその理由が分かった。
 まず目をつけるべきは、脚本の斬新さだろう。3人の異なる人物が同じ事件についてまったく別の証言をする。今でこそ「嘘をついている人物の視点でストーリーが語られる」ことは珍しくない(ユージュアル・サスペクツなどはその代表だろう)。しかし黒澤明は虚構の話が交錯する「さっぱり分からん」映画を60年前に完成させていた。
 この映画のタイトルは芥川龍之介の作品と同じ「羅生門」だが、ベースとなっているのは短編の「藪の中」だ。監督のすごさはこの「藪の中」に目をつけたことだけでなく、そこから映像作品としての可能性を見いだしたことにある。人間は文字で見せられるよりも、映像で見せられたものの方をより真実と捉える傾向がある。マイケル・ムーアといった昨今のドキュメンタリー監督はその「映像の魔術」を駆使して、どんなに主観的に撮ろうがそれを観客に「真実」だと認識させる。
 この「羅生門」でも3人の証言を本人たちの言ったとおり映像化している。しかもどれもが「どこか疑わしい」のだ。このことにより、観客は(旅法師と杣売り同様)そのどれもが嘘だとは気づいているものの、確証は持てない。後にも触れるが、この真実と嘘の曖昧さがこの映画の要となっている。そもそもなぜ彼らが嘘をついているのかも最後まで明かされないから、見ているうちにモヤモヤは一層増すだろう。
 この一風変わった映画を魅力的にするには俳優の力も欠かせない・・・はずなのだが。実は映画の序盤から私はこの映画のあるポイントにさっそくウンザリしていた。俳優の演技がダメなのだ。冒頭で、羅生門の下でたたずむ旅法師は虚無感を出すためなのか、台詞は棒読みもいいところだし、下人は何から何までオーバーだ。三船敏郎演じる多襄丸はキ○ガイじみた演技が過剰で、突発的に大声で笑うのも勘に障る。殺された武士の妻は嘘を取り繕うときの「お涙ちょうだい」があまりにも嘘っぽくて・・・と少しでも思ったあなたは完全に黒澤明の術中にはまっている。
 これらは実は完璧に計算されてのことだ。一見するとすべてが過剰に見えるのだが、すべては「真実」を際立たせるため。事件に関わった3人の証言の後に、杣売りが事件の顛末を見ていたことが発覚する。そして彼は重い口を開いて、「真実」を語り始めるのだが、それは3人の証言のどれとも一致していなかった。しかも「真実」の中での彼らはあまりにも無様な姿をさらしていた。誰しもが自分の恥を隠すために、都合良く嘘をついていた。だから多襄丸は無闇に虚勢を張って、狂ったように馬鹿笑いをし、「粗暴だが武士の高潔さを併せ持つ多襄丸」を作り上げた。武士の妻、真沙はわざとらしく泣き崩れて「悲劇の妻」に成り切る。殺された武士に至っては、霊媒師を通して話すことで(この時点で色々疑わしいが)、「失意の中自ら命を絶った武士」の話をした。これらが「真実」での彼らの姿と対比されることで、あまりにも惨めで卑屈な人間の実像が浮き彫りにされる。多襄丸と武士が見せるしょうもない(そしてリアルな)戦いが象徴している。
 しかしここで終わらないのが黒澤監督。彼は観客に”答え”として提示した杣売りの「真実の話」にも含みを持たせ、それさえも嘘であるかのように話を進める。ここで鍵となるのが杣売り、旅法師、そして下人だ。真実と嘘の微妙な境界線を描き出し、そこから人間の愚かしさを見せつける。その「藪の中」のテーマから、「羅生門」のテーマである「善悪の曖昧さ」までを一つの映画に込める手法は見事としか言いようがない。
 この羅生門の下での3人はそれぞれが善悪の象徴となっている。誰の話も信用せず、棄てられた赤ん坊がまとっていた衣服を奪いさる下人は”悪”だ。事件の顛末を聞いてもなお、人を信じようとする旅法師は”善”の存在。そして「真実」を話す杣売りはその狭間で揺れ動く人間、すなわち私たちだ。原作では下人が老婆との対話で葛藤を見せることにより、善悪の定義を論じていたが、映画では3人の人物に分けたおかげでより明確にテーマ性が伝わる。これは賢明な判断だった。仮に、下人だけが延々と葛藤を続けるシーンだったとしたら、テーマが複雑になりすぎてしまい、かつ映画としても見栄えがしなかっただろう。それまでほとんど同じことだけを呟いていた3人の言い争いは、事件の真相追求を超えた、真理の議論となったのだ。
 この中で杣売りは自分も罪を犯したことを告白する。事件に関わった3人に比べれば他愛のないことだが、自分の罪を嘘で塗り固めたことには変わりない。それにつけ込んで、下人は「自分とお前は何も違わない」などとのたまう。この言葉には異常なほどの説得力がある。なにしろ画面から抜け出て私たちの心にまで突き刺さってくる。その後がもっと衝撃的だ。”善”であるはずの法師までが杣売りを疑ったのだ。この時善悪の境界線は完全に消え、「誰も信じられなくなる」。杣売りは唖然とした表情を見せ、その瞳には絶望が宿り、観客にもとどめを刺したのだ。
 だが黒澤はバッドエンドで終わらしたくはなかったらしい。なんと法師は杣売りの必死の言葉を聞いて、人を信じる大切さを思い出すのだ。個人的にこの最後のシーンはかなり不満だった。それまで残酷なほど丁寧に人間が疑心暗鬼に陥る様子を描いてきたのに、一瞬にして他人をもう一度信用してしまうのはおかしい。現実の世界では一度疑うと、もう一度信じるのには時間がかかるはずなのだが。希望を描くにしても、せっかく赤ん坊という”純粋な”存在を登場させたのだから、それで十分だったはず。それまで保ち続けていた緊迫感が一気に緩み、異常にリアルな人間心理も消え失せてしまった。
 そのほかにも欠点はある。登場人物が自分語りを始めるとき、やたらと説明口調なのはいただけない。全体的に女性の描き方が浅く、一面的なのも気になる。そして法師の棒読みはやっぱり耐えられない。
 だがそんなものはこの映画が持つパワーを前にしたら、すべては消え失せる。三船敏郎の表情が画面一杯に映る。そこに映っているのは、傲慢な男の顔でも、猟奇的な盗賊の顔でもない。死に怯えて逃げ惑う人間の顔だ。それだけでもこの映画がいかに特別なものか分かるだろう。

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Re: 羅生門(家で鑑賞) 

黒澤映画を見たことなかったとは意外(O_O)
俺はもちろん見たことないけど(。-_-。)
そんなに面白いなら 見てみようかな(o_o)

2012/10/06 18:11 | ホームズ [ 編集 ]


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